伝説の博多 Rock Band " サンハウス " の楽曲がたっぷり聴ける!
8/17(土)Tokuzo
「たっぷりサンハウスver.」
ELECTRIC MUD
[菊(vo)奈良敏博(b.ex.サンハウス)鬼平(ds.ex.サンハウス)
藤沼伸一(g.ex.アナーキー)山下竜也(g.ex.ジライヤ)]
18:30open 19:30start
前売¥4,000 当日¥4,500(6/15発売)
http://www.tokuzo.com
ヴォーカルの菊さんドキュメント放送
ライブ映像、サンハウス時代のエピソードなど興味深い内容ですよ。
サンウハウスとは( ウィキペディアより引用)
バンド名の由来はアメリカ合衆国のブルース歌手、サン・ハウスの名前から取る。
アタックというバンドで演奏していた篠山が久留米のダンスホールに出演していた時、鮎川と知合う。アタックに鮎川も参加し、しばらくホールに出演演奏をするが、アタックはメンバーの音楽に対する意見の食違いにより解散。その後鮎川が中洲の美松というソシアルダンスホールでアルバイトを始める。その時のバンマス福間氏より制服のスーツを作れといわれ鮎川はそれがいやで篠山に交代を頼む事に、その事で篠山がそのバンドで演奏する事になった。しかし福間氏は篠山の演奏が気に入らず、その時博多駅前に新しく出来るダンスホール「ハニー・ビー」に新しくバンドを組んで出演するよう篠山に仕事を斡旋する。
篠山はやりたい音楽が出来ると鮎川を誘いメンバーをさがす、ボーカルは鮎川が少し前に知合っていた柴山(後の菊)を篠山に紹介、三人は博多の喫茶店で話合い、ブルースをやるバンドをやろうと話あった。
福岡県にてホールなどで歌っていた当時大学生の菊こと柴山俊之が、バンド結成のためオーディションを開催、ブルースギターを弾く久留米市から来た大学生、鮎川誠と出会い結成。
1975年、テイチクレコード/ブラックレーベルより1stアルバム『有頂天』にてメジャーデビュー、日比谷野外音楽堂にてデビューライブを行う。その後、ゴダイゴやcharと共に全国ツアーを回る。
3rdアルバム『ドライヴ・サンハウス』の発売と同日の1978年3月25日、解散を決定させる。解散後、柴山は作詞家としてルースターズやシーナ&ザ・ロケッツ、アクシデンツ、UP-BEATなど福岡県、北九州のバンドに詞を提供。鮎川は後期メンバー川島一秀、浅田孟(元THE MODSのメンバー)と夫人シーナを加えシーナ&ザ・ロケッツ結成。
1982年、12月31日、新宿ロフトでの企画ライブに出演。柴山俊之(Vo)、鮎川誠(Gu)、花田裕之(Gu)、川嶋一秀(Dr)のメンバーで、サンハウス時代のナンバーをプレイした。尚、この時の映像は、非公式ながら1990年代に『PREVIOUS LIVE/SONHOUSE』として発売された(10曲収録・VHS)。
1983年、サンハウス再結成。右記4ヶ所でライブを行う。東京(6月18日 渋谷LIVE INN、9月23日 日比谷野外音楽堂)、福岡(8月7日 福岡Super Live '83 小戸公園)、仙台(8月7日 仙台ロック・フェスティバル)。メンバー:柴山俊之(Vo)、鮎川誠(Gu)、奈良敏博(Ba)、浦田賢一(Dr)。日比谷野外音楽堂でのプレイは、『CRAZY DIAMONDS~ABSOLUTELY LIVE』というタイトルで、ライブ・アルバム(LP)とカセット・テープが同年11月25日にリリースされた。しかし、カセット・テープこそ全20曲の完全版であったが、LPは12曲の収録でしかなかった。1990年8月21日にビクターエンタテインメントから同タイトルのCDがリリースされるも、尺の関係か18曲の収録に留まり(「ロックン・ロールの真最中」「ミルク飲み人形」が未収録)、長くファン泣かせの音源となっていた。2008年8月20日、紙ジャケ仕様の2枚組CDがリリースされ、ようやくカセット・テープと同じ20曲を収録した完全版となった。尚、カセット・テープ、LPでは「ステディ・ドライバー・マン」の歌詞が数カ所、断片的にテープ逆回しで処理されているが、CDではその処理は行われていない。
2010年、3度目となる再結成を果たし結成35周年を記念して全国5箇所を回るツアーを行った。