The Sons
[ichiro(vo.g)鮫島秀樹(b)Roger高橋(ds)]
18:00open 19:00start
前売¥4,000 当日¥4,500
12/17(火)Tokuzo tel: 052-733-3709
http://www.tokuzo.com everevo@tokuzo.com
-THE SONS-
ジャパニーズ・ロック・シーンでそれぞれが個性的な活動をしている4人のミュージシャンが1994年、スーパー・プロジェクトをスタートさせた。<SONS OF BLUES>。メンバーはichiro(Vo,Gtr)、松浦善博(Vo,Gtr)、鮫島秀樹(Bs,Cho)、Johnny吉長(Vo,Dr)の4人、いずれもシーンの兵揃い。彼らのオーディアンスを圧倒するパワフルでクリエイティヴなライヴ・パフォーマンスは、ロックの真の姿をダイレクトに表現する。ロック・ミュージックの基本であるブルース・フィーリングを形に捉われない自由な発想で生み出し、自分達の新しいサウンドを確立していく。そのスタイルこそSONS OF BLUESの大きな個性だ。ブルースをリスペクトし、そこから自らの音楽を生み出していくというスピリットをいつも心に抱いていれば世界進出も決して夢ではないのだ。何よりも、彼らの実力は世界のシーンでも必ず通用する。
93年5月にichiroがTWIST再結成ライヴを訪れ、スライド・ギターの名手としてその名を知られる松浦善博と初体面、松浦はichiroの憧れのミュージシャンだった。同年12月、ichiroがサポート・ギタリストを務めていたDiamond☆Yukaiのライヴに松浦がゲスト・ギタリストとして参加、ふたりは初めて共演する。94年12月、大阪の堺市のVintage Guitar Shop《AIRS》が主催する年末ライヴのためのセッション・バンドとして松浦に出演依頼。このバンドにichiro、鮫島、今川勉(ex.echoes)が加わりリハーサル・スタジオでセションを行う。B.B.King、Johnny Winter、Allman Brothers Bandなどのナンバーを演奏。今川が急病のため、ゲスト・ヴォーカリストのJohnny吉長にドラムスも依頼する。こうして94年12月末、オーディアンスの前で4人はセッションを行うが、その瞬間、全員のインスピレーションがセッション・バンドという領域を大きく超えて、あるひとつの思いに到達したのだ。
ここだけで終わらすことは出来ない。"Sons Of Blues"という融合体が初めて存在した瞬間である。
95年からは時間が許す限りセッションし、そしてステージにも立った。Charや金子マリがゲストにやって来ることもあった。そんなドライヴィング・ブルース・バンドが2003年からはドラムスにRoger高橋を迎え、よりエネルギッシュなサウンド・クリエイトぶりで活動、同年12月にはアルバム「SONS OF BLUES -Mini Album-」をリリースした。
2004年5月には《第19回ブルース・カーニバル》にもSONS OF BLUESは出演、ichiroはヘッドライナーのOtis Rushのアンコール・セッションにも登場したのだ。
そして活動10年目にあたる同年秋、グループ名を《THE SONS》と変えるが、2005年3月をもって松浦が脱退表明。
バンド形態をトリオスタイルに変える事になり、更なる進化を目指す。
メンバー各自はこれまでにも多くの海外のミュージシャンとライヴ/セッション/レコーディングを経験している。このインターナショナルな感覚こそTHE SONSが世界へ踏み出す大きなきっかけにもなる。4人のそんな足跡も紹介しておこう。
- ichiro -
1988年、ブルースに魅せられて単身シカゴへ渡る。初めての渡米で生活もままならない中、ひたすらセッション・ライヴだけを展開。帰国後、90年にWEAからソロ・デビュー。レコーディング・メンバーはロリー・ギャラガー・バンドのジェリー・マッカヴォイ、ブレンダン・オニール。デビュー前に《ブルース・カーニバル》に出演し、ジェームス・コットン、ロニー・ブルックスらと共演。その後、 日本人初の<Gibson USA/Endorse Artist>にも就任。92年、セカンド・アルバム・レコーディングのために渡米、ボブ・グローブ、マーク・ブラウナー、チャド・クロムウェル、ボブ・ラッドらがichiroをサポートした。エンジニアはジョー・ウォルシュのバンドにいたグレッグ・ドローマン。そして何よりも注目は、特別ゲストがアルバート・コリンズ!Ichiroとのギター・バトルは白熱化し、アルバートはichiroのギター・ワークを絶賛した。その1年後にアルバート・コリンズは61歳でこの世を去った・・。96年にはボニー・レイットのギタリスト、ステファン・ブルートンをオースティンに訪ねセッション・ライヴを行なう。意気投合し、彼の家に招待された。そこはスティーヴ・レイ・ヴォーンが亡くなる少し前にヴォーン・ブラザーズ名義の「FamilyStyle」のための作品をステファンから機材を借りて作った家(スタジオ)だった。スティーヴィーのまつわるエピソードをいろいろときかせてもらう。その他ジョアンナ・コナー、スティーヴィー・サラス、ポール・ジャクソン、ザック・スターキー(リンゴ・スターの息子)、ジョン・エントウィッスル(ザ・フーのメンバーだった・・)、ビリー・プレストンほか多くのミュージシャンと一緒に演奏した経験を持つ。
-鮫島秀樹-
77年ツイスト時代にポール・ジャクソンと共演。その後90年にブルース・ハープの名手/ビリー・ブランチ、92年にミック・ジャガーの弟/クリス・ジャガーとステージを共にした。98年にはNHK-TV番組でザック・ワイルドと共演。01年にはラスベガスのブルース・クラブ、ハウス・オブ・ブルースでマーク・ファーナー(元グランド・ファンク・レイルロード)、03年には仙台でチープ・トリックともセッションしている。そのほか、ホワイトスネイクのダグ・アルドリッチ、クリス・フレーザー(スティーヴ・ヴァイ・バンド)、マーティー・フリードマン(メガデス)、リッチー・コッツェン、ザック・スターキー、ジョン・エントウィッスル、カーマイン・アピス(元ヴァニラ・ファッジ)、ポール・ギルバート、スティーヴン・セガール・・枚挙にいとまがないほど鮫島は多くの海外ミュージシャンとの演奏経験をもつ。
-Roger高橋-
1988年 元UFOのマイケル・シェンカー・グループのポール・レイモンド、元エンジェルのフランク・ディミノーと<SHANGHAI>結成。1997年にはPUGSが「Pugs Bite The Red Knee」でCasual TonalityレーベルからUSデビューを果たしたこともある。この時は、全米35ヶ所でのライヴ・ツアーも経験している。その他、ポール・ジャクソンともレコーディング。
<Notes by Mike M. Koshitani>